昔の自分
2025年4月6日
皆様こんにちは
以前ゲームが好きだという話をした中に、古くても買い替える事が出来ずストレスを溜めてしまっているという話をしたのですが、その話をゆかり先生や母に話したところ、買ってもいいんじゃない?というような事を言われ、かなり渋りましたが、ゲームの中でも音ゲーが特に好きな自分にとって一番欲しかったiPadの中古を思い切って買いました。
今まで色々ずっと我慢してきたので、自分なんかに今使っていいのかと若干の後悔はありましたが、届いてからはゲームのやる気が戻ってきて、中古なので動きは少し悪いですが楽しむ事もストレス発散も出来ています。
iPadは高校生くらいからずっと欲しいと思っていたのでやっと買えて嬉しいです。
さて、今回は自分自身について書いていこうと思います。
それでは始めます。

皆様は今と昔の自分で変わったと思う所はありますか?
昔は大人しかったけど今は活動的になったとか、昔は人といる方が好きだったけど今は1人の方が好きだとか、逆に全然変わらない人もいると思います。
ですが年月が経つにつれ、色々な経験をして変わった所も何かしらあると思います。
今回は前回の血液型についてで、少し書いていた私の性格や考え方を過去と現在までの変化を細かく分析していこうと思います。
前回書いた通り、小学生までの私はかなりのアウトドア派で行動力の塊のような子供でした。
平日は学校が終われば自転車であちこち駆け回り、休日も同じように駆け回り、友達と遊ぶ約束も大体は外でスポーツをする事でした。
性格は自己中心的で常に全力でしたい事をしていて、相手の事はあまり考えず行動していたので、かなり周りを振り回していたと思います。
実は小学生より前の保育園時代はむしろ大人しく、人を振り回すタイプでは無かったのですが、こういう性格になった要因としては人に飢えてたというのがあるのかなと思います。

私は物心が着く前に母と父親が離婚していて、理由は父親から母へのDVとギャンブルでした。
ただ父は子供好きだったので私に暴力を振るう事は無く、おむつを変えたりというのは積極的にしていたそうで、そういうのもあり父自体に軽蔑はしていますが、大人の男性という存在に恐怖感はありませんでした。
それが余計に寂しさを募らせていたのかもしれません。
同級生以外だと圧倒的に年上の男の人にかなり懐きやすく、昔は実際に母の兄だったり近所の人だったり、そして今は男の先生などにかなり心を開きやすく、まだ心の奥に父親がいない事への寂しさというのがあるのだと思います。
実は小学生の時に男の教育実習生が来て、いなくなるという時に男子で恐らく自分だけ大泣きしてしまったという事もあったんですよね。
そして母子家庭になり、生活が苦しくなって母が働きに出ざるを得なくなってしまいました。
しかも父親が養育費を踏み倒していたので余計に生活が苦しくなっていました。
母が働きに出ている間は保育園に預けられていました。
元々私は1人遊びが本当に苦手で、人見知りはしなかったので保育園に友達はいましたが、母が大好きで母と遊びたかった私にとっては保育園で楽しく遊んでいても心の底では寂しかったですね。
保育園は2箇所通っていたことがありますが、片方の保育園で虐められていた事があるので、その時は余計に辛くて寂しかったです。
母は元々身体が弱く、私を産む前から精神病を持っていて、そんな身体で私の世話と仕事を両立しなければいけなかったので段々と体を壊していき、更に他の精神疾患や入院が必要な程の鉄欠乏性貧血が現れ、私が5歳の頃には本当に何故死ななかったのか分からないくらいに、元々小柄な体が更にやせ細ってやつれていきました。
貧血について入院しないと駄目だと医者から言われていたそうですが、私の事があったので断固として入院はしなかったそうです。

それからは生活保護を受け、沢山の薬を飲みながら生活していました。
母は基本的に寝たきりの生活をしていましたが、それでも家事や育児を怠る事はほぼ無く、私も体が弱かったのですが、風邪やインフルなどに何回と罹っても放置するというのは一度もありませんでした。
しかし一緒に遊ぶというのは、外ではもちろん家でもあまり無く、ゲームやおもちゃで1人で遊んでいました。
ただその頃には私は物凄くゲーム好きになっていて寂しさはありましたが、1人で遊ぶのも特に辛くはありませんでしたね。
そして無意識でも母に合わせる生活が続いていたので、小学校に入る直前で私も一度限界が来てしまいました。
ですが小学校に入って初日から遊びに誘ってくれた子がいて、そこからはその子も含め沢山の友達と遊ぶ事により、ストレスや飢えを少しずつ減らす事が出来ていました。
ただ完全にストレスだったりが無くなることはなく、ネガティブな考えに陥ったり、楽しく遊んでてもいきなり気分が沈んでしまったりという事はたまにあったので、それ以外は元気にしていても精神的に不安定ではありましたね。
小学校に入ってからも母は家事以外ほぼ寝たきりなのは変わらず、母に合わせる生活のままでしたが、授業参観や運動会などの学校行事は体調が悪くても必ず来てくれていて、そこはかなり精神的に救われていたと思います。
以上が小学生までの私です。
長々と書きましたが、こういう環境でかなり負担や制限、孤独感が多かった幼少期だった事もあり、小学校に入ってから友達が出来て、依存気味になってこの自己中心的な性格が出来てしまったのかもしれません。
考え方に関しても、母の事にリソースを割いていて、母の元から離れるとある意味解放されて、自分の事や他人の事だったりはそこまで考えず自由に自分勝手になっていったのだと思います。
実際母にも自己中だったり自分勝手とよく怒られていましたね。
勉強の成績は全く問題ありませんでしたが、それ以外の素行だったりはかなりの問題児でした。
恥ずかしい話ですけどね。

長くなりそうなので今回はここまでしたいと思います。
私自身、癖というものはあまり無いと思っていますが明確にこれは癖だなという事がありまして、それは母の顔色を伺うのと布団で寝ている時に生存確認する事で、これは母の体調がかなり良くなった今も無意識でしてしまいますね。
辞めたいとは思っていますが、恐らく一人暮らしをするまでは無くなる事は無さそうです。
次回は今の自分についてです。
それでは、来週もお付き合い下さい。